テクノの少年

 ――それは人々の情熱が宇宙開発ではなく神経科学や微細機械工学の発展に向けられた世界。
 ――それは人々が恒星間航行技術の代わりに人間に比する人工知能を手にした世界。
 ――それは英雄になるはずの人物が一介のうだつの上がらない大学講師として暮らしている世界。

 本と、インスタント食品の空き容器と、空き缶と、脱ぎ捨てた服とが、狭い部屋にいくつかのささやかな山脈を作っている。
 その中心はソファで、つまるところこの部屋の主の寝具であり食卓であり書斎でありその他本来ソファの用途ではないもろもろの機能を押しつけられている。そして今のソファは寝具だった。若い男がそこで眠っている――と、来客を知らせるベルの音でのっそりと起きあがった。
「なんだってこんな朝早くに客なんか……」
 男――ヤンはぐちぐちとこぼしながら玄関に向かう。しかし時計はすでに11時を指している。
「ヤン・ウェンリー様のお宅でいらっしゃいますね」
 ドアを開けると、感じのいい笑顔を作った宅配業者が立っていた。その背後では宅配業用ロボットが、なにか巨大な荷物を抱えているのが見えた。
「ええ、そうですが」
「ヤン様にお届け物です。ハイネセン社から、アンドロイドの」
 巨大な荷物の正体を知るや、ヤンは仰天した。
「アンドロイド!?」
「ええ、そうです。あ、じゃあここにサインお願いできますか」
 虚を突かれたまま、うっかり受け取り証にサインしてしまった。ヤンはパジャマ姿のまま、巨大な段ボール箱――アンドロイドの入った箱と共に残された。箱にはメッセージカードが挟まれていた。《この度はご当選おめでとうございます》あまり懸賞に熱心に送るたちではなかったが、そういえばなにか送った覚えがある。後輩にせっつかれて、歴史クイズか何か……。その賞品が「これ」というわけだ。
「困ったなぁ」
 それで状況が全く改善しないのはわかっていたが、とりあえず呟いた。
「困ったなぁ……」
 腕を組んで首をひねり、いつまでも困ってはいられないぞということに思いあたったところで、意を決して箱を開けてみることにした。
 しかし、ヤンは機械に非常に弱かった。家には旧式のパソコンが一台あるばかりで、それもワードプロセッサと簡単な調べものにしか活用されていなかった。そこにこの最新型らしいアンドロイドがやってきたわけだから、青天の霹靂もいいところである。
 パソコンが一家に一台の時代が過ぎ、携帯型情報端末が一人に一台の時代が限界まで爛熟し、次に台頭してきたのがアンドロイドだった。彼らは人間の代わりに雑用をこなす。ある程度専門的な内容でも、ソフトウェアをインストールすることで即座に技術を習得する。新人教育もしつけも不要だ。しかし高価で、どの企業や家庭にもあるかというと決してそうではなかった。
(つまるところ人が自らの手で作ったローマ時代の奴隷というわけだ)
 ヤンなどは皮肉たっぷりにそう思う。思うだけだが。
 さて、と腕まくりをして、びりびりと包装をやぶり、箱を開ける。
 現れたのは、秀麗な面立ちの少年型アンドロイドだった。形のよい輪郭を、亜麻色の緩くカーブする髪が縁取っている。極めて精巧に造られた人形、という印象だ。稼働していないアンドロイドを「眠っている」と言う人も少なくなかったが、ヤンにはそうは思えない。
 衣服は着ていなかったが、簡素なシャツとズボンが同梱されていた。そして見ただけでめまいを起こしそうな、厚さ四センチはあろうかという取扱説明書も。今どきペーパーメディアとは珍しいと思ったが、ヤンは電子書籍の類があまり好きではなかったので、これはこれで助かったといえる。
 苦闘五分。なんとか電源の入れ方を探し出した。箱の中からペン型をしたキーを取り出して、アンドロイドの首元に押し当てる。ピピ、という電子音のあと、アンドロイドは目を開けた。ダークブラウンの瞳が、ヤンを捉えた。
「初めまして、マスター。現在OSを初期化しています。しばらくお待ちください……」
 あとはヤンが自発的にしなければならないことなどほとんどない。アンドロイドに問われるまま、所有者となる人間の名前や住所を答え、携帯端末に送信されてきた電子書類にサインをし、その他こまごまとした設定を行う。
 そこでヤンは大失態を犯してしまったことに気づいた。自分で運ぶことはできないからアンドロイドを起動したはいいものの、自分の名前で所有者を登録してしまったら、アッテンボローやキャゼルヌに押し付けることができないではないか。しかし登録者の変更の方法もわからず、途方に暮れた。
「……とりあえず、紅茶を一杯」
「了解しました」
 起き上がって服を着たアンドロイドに、試しにと思って命令する。数分後出てきたのは、ヤンも唸るほどの完璧な香りと味の紅茶だった。
「なんだ、美味いじゃないか」
「光栄です、マスター」
 ポケットに入れていた携帯端末が急に鳴り出したので、飛び上がりそうになった。見てみると、なにかのソフトの公式サイトのようだった。
「2054年、シロン社製行動学習ソフトウェア《カティサーク》です。先ほどはその体験版を用いて紅茶を淹れさせていただきました。マスターがお望みなら、製品版をインストールすることも可能です」
「プログラムで、美味い紅茶が淹れられるのか」
「結果は先ほどお飲みになった通りです。一般的に美味しいとされている紅茶の淹れ方についてはすでにプロトコルが確立されています。マスターの嗜好に合わせて微調整することも可能ですが」
 頭を抱えた。こころなしか頭痛がしてきたのだ。
「何か問題が生じましたか」
 アンドロイドの声は淡々としている。その声音が少年のものであるだけかえって不気味だった。
「もう少し人間らしく……というか、わかりやすく喋ってくれないかな……」
「申し訳ありません、マスター」
「なんだかなぁ、お前、見た目や声が子供なのに、そんな風に喋られると、不気味でならないんだ」
 不気味と言われていい気持ちのする人間はいないだろうが、アンドロイドは眉一つ動かさない。
「発話プログラムはデフォルトのままですから」
 ヤンは大仰に手を振った。もういい、というサインのつもりで。
「とにかく、その、ややこしい言葉は使わないでくれないか?私は機械に本当に弱いんだ。あとそのマスターってのもやめてくれ。なんだか奴隷を使ってる気分になる」
「では、お望みの呼称がありましたら仰ってください」
 改めてそう言われると、すぐに思いつくものでもない。やれやれ、とつぶやいて考えこむ。
「まあ、大学では普通は“先生”と呼ばれているけどね……」
 家でまで先生と呼ばれるのは気疲れする気もしたが、かといって他の呼び方も思いつかない。“父さん”や“兄さん”は論外だ。“ヤンさん”と呼ばれるのも他人行儀な気がする。
 と、そこまで考えて、このアンドロイドを家に置こうとしている自分に気がついた。経済的には厳しくなるが不可能ではない。美味い紅茶で買収されたのか、と思うと我ながら情けなくもある。しかし、それだけではないのだ、と思えた。結局、「人の姿をしている」というだけで、共感の度合いは跳ね上がる。
「……お前を私にとってどういう存在にするかが問題だな。アンドロイドは家具の一部であると主張する人間も、恋人や親友になりうると主張する人間も、どちらも多い」
 アンドロイドは静かに答える。
「それは私“たち”が定義すべきことではありません」
「そうとも。そして今すぐに定義すべきことでもない。違うかい?」
「回答をお望みですか?」
「いや、誰も回答など持ってないし、私も求めていない。それは絶対的な答えを求めるべき問いじゃない。……だが、私は人間の形をしたものを番号や“それ”と呼ぶほど無神経にはなれないんでね。……お前の名前……か……」
 ふと目に映った本は、聖ユリアヌス帝のことを論じていた。しかしユリアヌスではあまりに大仰すぎる。もう少し気軽に呼べる名前のほうがいい。
「……お前はユリアンだ。それでいいかい?」
 こうしてヤン家には住人が一人増えたのだった。

「先生、夕食のお時間です。材料がなかったので、レトルトを温めただけですが」
 半日もすれば、ユリアンの話し方はかなり人間の少年に近いものになっていた。ネットから喋り方のサンプルを収集/分析しているらしいが、そのあたりの理屈はヤンにはさっぱりわからない。
 結局、ユリアンには自分のことは「先生」と呼ばせることにした。他に呼び方が思いつかなかっただけではあるが。
 ヤンがレトルトのカレーを食べている間、ユリアンは目を閉じて床の空いたスペースに座っていた。
「なにをしているんだい?」
「ああ、家計簿ソフトをダウンロードしていました。それと、先生の経済状況のチェックも。これから先、僕がかなり電気代を使ってしまうと思うので」
 それを言われるとやや暗い気持ちになるが、細かい計算は苦手としているヤンなので、この際ユリアンに丸投げすることにした。
 ……丸投げしすぎたのだろうか?
 次の日、大学から帰ってくると、ヤンの部屋がすっかりきれいになっていた。どういうことかと聞くと、けろっとした顔でユリアンは言った。
「基本的な家事の技術は最初から覚えているんです。特に掃除をしろと言われたわけではありませんが、衛生上あまりよい状態ではないと思ったので、僕の判断で片づけさせてもらいました」
「いやまあ、それはありがたいんだが……」
 ものが落ちていない床や、山と積まれた本のないソファはどうも落ち着かない。頭を掻きながらつぶやいた。
「……ラーメンが食べたい」
「お言葉ですが、部屋に落ちていたゴミから、先生は相当不摂生な生活を送られていたことが推測できるんです。特にビタミン群の著しい不足と塩分の摂取過多が認められます。ですからラーメンはあまりおすすめできません」
「栄養士を雇った覚えはないんだがなぁ」
「僕らの三つの約束ごとをご存じですか?」
「アイザック・アシモフなら学生の頃少し読んだな」
「ええ。“第一条・人間に危害を加えてはならない。また人間に危害が加えられそうなときこれを看過してはならない”――その拡大解釈です。先生が二十年後脳卒中で倒れてしまわないように」
「ありがたいことだね」
 ムスッとして、ヤンはユリアンの淹れた紅茶を飲んだ。やはり、美味い。
「ところでユリアン。さっきのは冗談かい?」
「冗談は難しいですね。しばらく学習が必要です」
「なら今度、私の後輩や先輩に会わせよう。あまり参考にしてほしくない冗談ばかり言う連中だけどね」
 ユリアンは笑った。その表情が驚くほど人間らしくなっていることに気づく。
「案外、うまくやっていけるかもな」
 小さな呟きは、人とは全く構造の異なる耳に届いただろうか。それは電子の脳をどう揺らしただろうか。
 時間ならたっぷりある。これから理解していけばいい。
 ヤンは微笑して、完璧な紅茶を飲み干した。


 

150902
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