He is never forgiven

※直接的ではありませんが輪姦描写があります。ご注意ください。もしくはご期待に添えず申し訳ありません。
※基本的に第三者視点です。
























 男が薄い毛布を身体に巻き付けて、血走った目で宙を見ている。ひゅー。ひゅー。自分の酒臭い息の音がいやに鮮明に聞こえる。いや、自分だけではない。ひゅー。ひゅー。ひゅー。声にならない悲鳴があちこちで起こる。
 怖い。怖い。怖い。
 究極に原始的なそれ――死への恐怖で窒息しそうだった。
 男たちは皆もっとも下位の兵士だった。次に吹き飛ばされて宇宙の屑になるのは自分ではないかという予感が常に彼らを苛んでいた。一旦基地に引き上げたとはいえ艦隊は戦闘行動中だ。次に出動命令が出たときそれが死神の声になるかもしれない。酒や女に逃げようにも、彼らには士官のおこぼれしか回ってこなかった。
 限界だ。男は思った。
 そんなときに、彼は突然姿を現した。
 薄暗く、顔はよく見えない。中肉中背で、簡素なシャツとズボンを身につけている。誰にも気づかれなさそうな風体でありながら、誰もが見ずにはいられない、奇妙な存在感があった。彼は宅配のピザでも届けにきたかのような口調で、「よかったら、私を慰みに使ってくれないかな」と言った。
 男たちはどよめいた。誰かホモ趣味のある奴が男娼でも呼んだのか?しかし身に覚えのある者は一人もいなかった。と、酒瓶が彼めがけてとんでいった。彼はすんでのところでそれをかわしたが、その動きは危なっかしかった。
 追って、安酒でろれつの回っていない野次がとぶ。
「帰れ、オカマ野郎。どこのどいつだか知らねえが、お呼びでねえんだよ、このブタ、お上のお偉いさんがた相手にでもケツ振ってろ」
「彼らには彼らの相手がいるよ」
 彼はひどく穏やかだった。野次を飛ばした男も毒気を抜かれてしまったのかそれ以上は何も言わず、微妙な緊張感を孕んだ沈黙が下りた。  と、低い切迫した声が静けさを破った。 「……金とんのか」
「金はとらない。物も。私にはそんな価値はないからね」
 さらりと吐かれたその言葉が持つ絶望に気づく者はいなかった。それよりも男たちはもっと現実的な心配をした。
「ならてめえ、妙な病気持ってるとかそういうことねえだろうなあ」
 男たちは疑りの中に、明らかな期待と劣情を滲ませていた。じりじりと獲物を囲む輪を縮めていく野犬の群にも似て。
 彼は穏やかに答えた。
「病気も持っていない。体液を媒介するあらゆる伝染病には無縁だ。それでも万一のことがあればワクチンを提供する」
 正常な判断力は、もちろん男たちにも十二分にある。それが思考の主導権を握っているときならば、むしろ彼の言葉を聞いて大いに怪しんだだろう。そんなうまい話があるものか、と。
 しかし今の男たちにはあらゆる余裕がなかった。精神そのものが、どうしようもなく飢えていた。
「ただひとつだけ約束がある。首から上と、手首から先には、どんな傷も痕もつけないでほしい。それ以外は、好きにして構わない。本当に、好きなように」
 さあ、と彼が男たちを誘った、ように見えた。カチカチと点滅する蛍光灯の明かりで首元の滑らかな肌が白く浮かんでは消えた。男たちはそれを承諾した。野犬の群が輪からひとかたまりの暴力になった。
 それを、男は見ていた。男は一歩出遅れた。一番男と仲のいい兵士が、俺がヤったらお前にまわしてやると、彼のシャツを引きちぎりながら言った。そして黒い刈り込みの頭と浅黒い背は沈んでいった。
 男の脳裏を、幼い頃見たソリヴィジョンのワンシーン――名も知らぬ鹿に似た生き物が横たわっている。それを犬に似た痩せた牙ばかり鋭い生き物が取り囲み、肉や内蔵に食らいつき引きちぎっている――がかすめた。
 そのとき食われる側の生き物の喉からは何の音もしなかったが、今は聞こえる。
 あえかな悲鳴。ちがう。艶めかしい息の音。ささやくような甘い声。ああ、あぁ、いいよ、もっと……。
 男はズボンの中で固く張りつめるものを感じた。男になど食指が動くはずがないと、性に目覚めた頃から信じきっていたのに、今は至極単純に反応している。塊と化した男たちの隙間から突き出る象牙色の脚に――そのゆらめきに、ぴぃんと張る筋に。時折きゅうっと指を縮め、伸ばす様に。
 男はもう耐えられなかった。己のものをズボンから取り出し、自ら刺激して達した。草いきれと獣臭の混じりあったような臭いが、己のものなのか、ほかの男たちのものなのか、もはや男にはわからない。充足感と微妙な情けなさを感じつつふと顔をあげたそのとき、男は男たちの身体の隙間から、彼と目を合わせてしまった。
 暗い、孔。
 しかしそれは孔ではない。瞳だ。彼の、黒い瞳。だが男にはそれがなにか底知れぬ虚のように思え、熱を持っていたはずの性器が急速に冷えていくのを感じた。
 彼は、そんな男を見て、ほほえんだ。
 まるで幽霊を見て怯える息子を抱きしめる母親のように。
 無尽蔵の慈愛でもって。
 男の頬を涙が流れた。
 そして約束通り男の友が場所を渡すと、男は彼の胸にむしゃぶりついた。すでにしたたかに噛まれ、吸われ、破れた皮膚からは血が溢れていた。男はそれを吸った。血は乳に通じていた。男は咽び泣いた。
 暴力の現場において意識は混濁し退行する。
 頭に手がそっと置かれ、固い髪を丁寧に梳いていくのを男は感じた。彼の手の温みが、感覚器をもたぬはずの髪から伝わってきた。
 なにもかも、赦される。
 男はそう思った。



***



 その軍医は外科を専門としていた。階級は中佐。彼は顔が広く、高級士官だけではなく下士官からも「腕のいいセンセイ」として信頼されていた。その彼が、調査を依頼された。半ば非公式に。半ば私的に。相手はこの要塞の事務総監だった。階級からすれば雲の上の相手だが、誘われて共に飲んでみると気さくで非常な好人物で、彼は大いに好感をもった。だから請け負おうと思った。
 依頼の内容は、微妙な問題を孕んだものだった。
 兵士たちの間で広がっているある噂、あるいは事実の調査。
 その内容はこうだ。作戦行動直前になると、兵士のもとに奇妙な男娼が現れる。彼はその職務を公認されていない(と、思われる)。しかしかといって行きずりの人間でもない。もっとも奇妙なのは彼が性行為(それにはかなり過激なものも含まれていた)と引換に金品その他を一切求めないということだ。問いただした人間も少なからずいたようだが、その答えは決まっている。「私にそんな価値はないから」。
 軍医は看護士を通して、他愛ないうわさ話として、丁寧に兵士たちから聞いた話を記憶した。
 マリー。メアリ。マリーヤ。
 それぞれが、それぞれの先祖の言語で彼を呼んでいた。正式に認可されていない人間を相手に慰安しているという事実を上官に悟られぬようにという意識もあるのだろうが、同時にそれらの呼び名はひとつのシンボルを表していた。
 遠い昔に亡んだ巨大宗教の、聖母の名。
 彼らはそれを知っているのだろうか、と軍医は思った。
 善悪の反転する戦場では、性すらも反転するのか。性の持つ意味、符号さえも。そしてその無償の性行為を提供する人間に、内在する異性への理想的イメージが結晶化されている。
 調査を始めてから二週間、局地的な戦闘で大怪我をした兵士が、高熱に浮かされながら《マリー》の名を呼んでいた。まるで母親の名を呼ぶように。
 きっと彼の《マリー》はそんな彼の手を、そっと握るような人間なのだろう、と軍医は思った。
 そしてその旨を事務総監宛にしたためた。そこから先は、おそらく己の出る幕ではない。相応の部署が相応に動くだろう。そう思っていた。
 彼の予想は裏切られた。《マリー/メアリ/マリーヤ》は彼の前に姿を表した。極秘裏の患者として。
「巻き込んですまない」
 キャゼルヌ事務総監はそう言った。謝罪の気持ちに偽りがないことははっきりとわかったが、言外に“絶対に口外するな”と命令されているのも軍医は感じていた。
 軍医は患者に対して、医者としてすべきことを行った。おびただしい数の爪や歯による傷は多くは自然治癒しつつあったが、化膿しているものも多くあった。特に胸が酷かった。ふやけ、膿んだ肉はそれ自体が腐りつつあるようだった。自己修復機能を向上させるクリームを塗り、患部を保護するパッチを張った。臓器の損傷に対しても同じように治療を施した。患者は発熱してもいたので、抗生剤と解熱剤も注射した。
 患者=《マリー/メアリ/マリーヤ》=ヤン・ウェンリーは眠っていた。頬は熱で紅潮していたが、蒼白な色はより際立って見えた。
 治療室のガラス越しに、キャゼルヌ事務総監は立っていた。その目元は暗い。司令官の性的逸脱行動を憂う部下の顔というよりも、もっと私的な色が濃かった。
「……これは自傷行為と呼べるのだろうか。どうなのかね、ドクター」
「広義では当てはまるでしょうが、残念ながら私はそちらの専門ではありませんので、これ以上の判断は不可能です。しかし精神科に診断させれば、まず間違いなく“休職し療養すべし”というような結論を出すでしょう。私もできればそう書きたい」
 キャゼルヌ事務総監は首を振った。
「この戦況で、それは不可能だ。同盟政府はこのイゼルローン要塞とヤン・ウェンリーの存在で首の皮がつながっているようなものだからな……」
 そして小さく、「その維持のために一人の人間に然るべき治療を施せない民主主義とは、一体なんなのだろうな」と呟いた。
「閣下もご休息をとられるべきです」
 軍医はそう言ったが、無言で「否」と返され、それ以上継ぐ言葉を見つけられなかった。これ以上自分がいても無意味だと思い、その場を立ち去ろうと歩き出した。背後から、強化ガラスを打つ鈍い音が聞こえた。そして廊下を曲がる寸前、「なぜ……」と絞り出される声を聞いた。そして患者の退院と同時に、軍医がその件に関わりを持つことはなくなった。
 そしてあらゆるマリーは姿を消した。




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