いつも逢い引きに使っている、歓楽街外れの古いホテルの指定された一室に入ったとき、ヤンは思わず怪訝な顔をした。
ベッドの脇に、見慣れないものがある。ヤンの丈より少し低い程度のなにか――被せられた布をそっとめくると、冴えない顔をした黒髪の男がこちらをのぞき込んできた。ヤンは今まさにシャワールームから出てきた男に向かって静かに抗議の声を浴びせた。
「先輩、これはいったいなんの冗談なんです?」
「俺にしては気の利いた冗談だと思うがな」
キャゼルヌはけろりとしている。ヤンは眉を寄せた。
「史上最低の冗談ですね。まさか本気でコレの前でしようっていうつもりじゃ……」
「そのつもりだが」
ヤンはコートかけのコートをひっつかんだ。
「帰るのか、ヤン」
「当たり前でしょう!こんな妙な趣味に誰がつき合えますか!」
袖を通しながら答えると、キャゼルヌが深くため息をつくのが聞こえた。
「そうか、残念だな。これから俺はひとつ仕事の山を越えなきゃならん。次に会えるのは三週間後か一月後か、それとも……」
ヤンはぐうと詰まった。今回もそれくらいのスパンを置いての逢い引きだ。身体は奥からカラカラに渇いている。理性がいくら理屈をこねても、欲求を止められるほど、ヤンも物分りがよいわけではない。
観念して、コートをコートかけに戻した。
「いい子だ」
キャゼルヌが両腕を軽く広げるので、その中に入った。抱きしめられながら、不快ではない体臭を嗅いでいると、腰の奥が熱く疼いた。それはキャゼルヌも同じようで、切羽詰まったように激しいくちづけをされると、息や鼓動の早いのが伝わってくる。それが嬉しくてたまらないのだからこの病はどうしようもない。
舌を絡めながら、一方でキャゼルヌの手はヤンのシャツを器用に脱がせていく。ヤンにはとてもではないがそんな芸当はできない。キャゼルヌの服を何度もひっかくが、指先がふるえてボタンをはずせないのだ。
顎から唾液がとろりと糸を作って落ちる。
「ん……ん、ふ」
ヤンが鼻を鳴らすとキャゼルヌは笑った。
「犬みたいだな、お前さんは」
大きな手のひらがヤンの髪を撫でたかと思うと、次には股ぐらに触れていた。ヤンは思わず高い声を漏らす。
「もうこんなに硬いとはな……」
溜まっていたんだな。そう低く耳元で囁かれて、ヤンは身を震わせる。が、やられっぱなしというのも気に食わない。意趣返しにキャゼルヌの股間に触れると、確かな硬さと熱さを持ったものがあり、生唾が溢れた。
「ヤン」
その声が急いているように聞こえるのは気のせいでないと思いたかった。と、ベッドに横たえられる。するりとベルトが抜かれ、とズボンと下着が引きずるように降ろされた。半ば頭をもたげたヤンのものが、とろとろと滴を漏らしている。
ふいに後孔に冷たく滑るものを感じ、ヤンは身をこわばらせた。が、その液体もこれからの行為の快感をより高めるためのものだと知っていたから、素直に受け入れた。
「本当に慣れたな、お前さんは。学生時代はローション垂らすだけでぴいぴい鳴いていたのに」
「いつまでも子どものままというわけにもいかないでしょ……あ」
キャゼルヌの指がずるりと侵入してくる。ちょうどよいところには触れず、ただ肉だけを柔らかくほぐすような動きに、快楽と背筋の焼けるようなもどかしさを感じ、ヤンは身悶えた。
「う、ううん……、ん、あ、あ、あぁ、あ……」
「本当にいやらしい顔をするな……ヤン、ほら、見てみろ」
いつの間にか鏡に被さっていた布は取り払われ、そこにはキャゼルヌに背中を預け、はだけたシャツの下から紅潮した肌を晒し、陶然とした、しかし苦しげな表情を浮かべるヤンがいた。
全身の血液が顔に集まる。
「やだ、先輩、鏡隠して……!」
キャゼルヌは意地悪く笑った。
「それじゃあ意味がないだろう」
ヤンは何度も頭を振り、キャゼルヌの腕から逃れようとするが、そのたびに埋め込まれた指がうごめくから、全身の骨が溶けたようになって動けなかった。
それどころか、キャゼルヌはヤンの片足を担いで高く上げると、性器の後ろで指をくわえ込んだ孔が赤く腫れている様をヤンに見せつけた。
ヤンは顔を真っ赤にし、金魚のように口をぱくぱくさせている。
「ほら、こうすると吸いついてくるようだ」
もう少しで完全に離れるというところまで引き抜かれた指に、粘膜が絡みついている。反対に埋め込むと、内腿全体の筋がひきつってそれを迎え入れる。
「ひっ……!」
あまりに卑猥なそれが自分の肉体の一部だと思いたくなく、しかし脳ははっきりと快楽を味わい、ヤンの感覚は千々に乱れんばかりだった。
「さ、挿れるぞ、ヤン……」
とろとろと濡れた後孔に、キャゼルヌの猛る性器があてがわれる。後孔は限界まで押し開かれ、ずぶずぶとそれを飲み込んでいく。その瞬間から目を離せず、ヤンは何度も熱いため息を漏らした。そして触覚と視覚の両面から高められていた快楽は、一度よいところを掠められたことにより爆ぜる。
「――っ!」
びゅぶ、と音を立てて精液が飛び、鏡の中の自分を濁った白色で汚した。
「おいおい、自分にかけてどうするんだ」
羞恥と快楽がない交ぜになり、ヤンの意識は朦朧とする。鏡の中の自分ーーつまりヤンは、焦点の合わない目を泳がせ、ふっくりした唇から涎を垂らしながら、がくがくとキャゼルヌに揺さぶられている。そしてキャゼルヌのものが出入りするたび、後孔の粘膜は紅々とめくれあがり、また窄み、泡を吹き、なにかそこだけ別の生き物が呼吸をしているようでもあった。
キャゼルヌも興奮していた。
「はは、すごいな。こんなにいやらしいのは女でもそうそういないだろうな、ヤン……。どうだ、感想は?」
「あ、あ――あ――や、いや……」
しかしもはやヤンはまともな言葉を発することができない。キャゼルヌもそれをわかってて聞いているのだ。そしてラストスパートとばかりにごりごりとヤンの一番感じる場所をこねまわすと、魚が跳ねるようにヤンの身体が痙攣した。
「あ―――ッ!!あっあっあっ、そこぉ、そこいいの、いいッ――――!!」
次の絶頂には射精はない。ただ深く激しい怒濤がかけめぐる。眉を寄せ、唇を半ば開いてあえぐ、鏡に映るその表情の凄艶さに、キャゼルヌも射精した。
ヤンは、鏡の中の自分の浅ましさに、かえって興奮しているようだった。そのあたり、キャゼルヌも予想以上の被虐趣味だったが、一月分の渇きを癒せるほどには、数度にわたって鏡の前で交わった。
――が、なかなかかつてのようにはいかない。
次の朝、遅番のヤンは、タンスの鏡と向かい合わせに置いた姿見の前に立った。鏡を見ると昨夜自分が演じた痴態を思い出して、逃げ出したいやら情欲が燃え上がりかけるやらでしばし動きを止めていたが、よしと気合いを入れると湿布を取り出して腰に貼ろうとした。が、うまく自分の背中が見えない。それどころか妙なところの筋を違えて、激痛さえ感じた。
「ユ、ユリアン!!た、たすけてくれないか!」
そう呼べば優秀な養い子は飛んできて、奇怪なポーズで固まっているヤンの腰と背中に丁寧に湿布を貼っていった。
「デスクワーク続きですからね、提督もお疲れなんですよ」
持つべきものは素直で器用な子だ、とヤンは感涙せんばかりだったが、彼はユリアンが、ヤンの背中に散ったキスマークや歯形に気づいていないふりをしていることを知らないのだった。
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