四月の終わり、何気ない夕食の席で、キャゼルヌ少将のお誕生日にはなにもさしあげないんですかとユリアンが言った。その日の食事はトマトスープだった。一瞬だけそこにぼんやりと写る自分の顔を見ただけで、顔を上げたときにはにはユリアンに向かってスプーンの柄を振って見せていた。
お前、三十の男が三十五を過ぎた男にふつう誕生日プレゼントなんかやると思うかい、と聞くと、ユリアンはおかしそうにそれもそうですねと笑った。ところでなんだって急にそんなことを言い出したんだい。いえ、僕、シャルロットたちと一緒にケーキを作ることになったんです。あの子たちが料理をするのを手伝ってほしいって、夫人に頼まれて。ふうん。
そこにはなんの不自然さもない。家族ぐるみでつきあう中での微笑ましい一コマ。三十の男と三十五を過ぎた男は、まあそのうちひとつ老いに近づいたことを祝して酒を呑みに行くのもいいだろう。けれどそのあとで、過ぎた日のことを甘ったるい感傷まじりに思い出して、酒場を渡り歩いた末にホテルのベッドに転がり込むなんてことがあってはいけない。決して。あれらは過去の遺物で記憶の砂に埋もれた廃墟で、埃の下の色彩は鈍い。もうそこには現在を生きる助けも未来への糧もなにもない。
どうかしましたか、提督。いや、キャゼルヌのやつがひとつ年をとったことを祝して、どんな皮肉をぶつけてやろうかと考えていたんだよ。そんなことしたら、来年の提督のお誕生日には三倍になって返ってきますよ。ユリアンは無邪気に笑う。それにしてもお二人は本当に仲がいいんですね。そんなの、腐れ縁さ。でもお二人ともただの腐れ縁だけで人と付き合えるような方じゃないでしょう。
まあ、キャゼルヌのような悪辣な人間ではなくていいから、お前もそういう相手を見つけられたらいいね。口をついて出たのはそんな利口な親ぶった言葉で、我ながら吐き気がする。それでもユリアンは感謝してくれているから、ときどきこの少年に対してひどく申し訳なく思う。
お前の尊敬する人間は実はそんな価値なんてこれっぽっちもないんだよ。お前と仲のいい女の子たちの父親を私は昔足を開いて下品な言葉で誘っていたんだよ。それなのにあの男が私じゃないほかの誰かと結ばれると知ったとき泣きも怒りもせずに曖昧な諦念を顔に心に体に張り付かせたまま。その乾いたかさかさした死体の肌のような薄皮はまだ実はどこもとれていなくて、剥いたところでもしかしたらもう中身はなにもないんじゃないかと思えて、それでもあの男は私の中に次々ものを注ぎ足していく。やるべきこと。なすべきこと。家族。きっと次は伴侶の女性。それでもあの男が満たされるならそれでもいいかと思えて、また諦めの皮が乾く。
なんだか元気がないですね、提督。どうか、なさったんですか。ユリアンの声は他意のない労りに満ちている。だから耳をふさぎたくなる。でもそんなことはやろうと思ってもできないから笑って(うまく笑えているのだろうか)ブランデーをくれないかと言う。ユリアンは少しはお酒をお控えになったらいかがですかと言いつつもちゃんと持ってきてくれる。ただし瓶は持ったまま。だから一杯だけ。これだけじゃあちっとも酔えないけれど、アルコールが血の中に染み込んでいくのを感じて、安心する。
食事が終わってソファに身体を預け、ソリヴィジョンから流れる有象無象の人の声やユリアンが皿を自動洗浄機に入れるかちゃかちゃという音を聞いているとそれらがただのノイズになってふいにユリアンが口にしたことがよみがえる。お二人は本当に仲がいいんですね。そして言い損ねた言葉を唇に乗せずに言う。
そうだよ、私たちはとっても仲がいいんだ。
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