あなたは淫らな俺の女王

 合鍵を鳴らして、扉を開ける。少し入り組んだところにあり、廊下を普通に歩いているだけでは気づきにくいこの部屋は、昔は文字通り資料置き場として使われていたらしいが、今ではごくごく僅かな例外を除いては出入りする生徒はいない。
「木を隠すには森とはよく言ったものだね」
 部屋というよりも、物置だ。乱雑に積まれた本や紙の資料が見事な渓谷を成している。その隙間で、ヤンはアッテンボローが仕入れた禁制の本を読んでいた。
「『ハイネセンポリスの黄昏』――銀河帝国のカウンターとしてのみ存在する民主主義に未来はない、か。こんな本が士官学校で禁制になっていること自体、軍という組織がどういう質のものであるか物語っていると思わないかい……」
「……先輩、俺、この部屋の鍵渡しましたっけ?」
 まるで当然のように居座っているヤンの姿に開いた口がふさがらなかったが、ようやく尋ねた。
「ん?ああ、まあ、鍵を手に入れる手段はひとつじゃないってことだよ。お前がどうやってこの部屋の鍵を手に入れたかは聞かないから、お前も詮索はなしだ。いいな?」
 ヤンにそう言われると、アッテンボローはぐうの音も出ない。どうせあの新しく赴任してきた事務次長絡みだろう。ヤンは随分、個人的に懇ろなようだ。それがアッテンボローには、まったくおもしろくない。幸いなのは、その事務次長とやらが、この組織のことをどうやらおもしろがっていて、黙認しているらしいことだが。
 釈然としないでいるアッテンボローには目もくれず、ヤンは手当たり次第に本の山を崩す。
「『司法を疑え』『滅び行く民主主義』『最高評議会の罪と罰』……おや、これは」
 ヤンが手にとったのは、裸の女性の姿が印刷された、いかにも安そうな紙の冊子だった。
「つまり、この国の軍にとって、これらの本は、この薄っぺらいポルノと同価値しか持たないということさ。組織の矛盾と欠陥から目を逸らし、猥褻だとレッテルを貼って隠すことで、ようやく不細工でない程度に化粧ができたと胸を撫で下ろすわけさ。ところでアッテンボロー、これはお前のものかい?」
「ち、違いますよ先輩!それは会の奴の一人が勝手に置いてったもので、会の趣旨にそぐわないから処分しようと思ってたところ……で……」
 アッテンボローの言葉を聞いているのかいないのか、ヤンはぺらぺらとポルノ雑誌をめくる。
「このページ、随分癖がついてるようだけど」
 裸のほうがマシというような破廉恥そのものの下着を着た女性が、扇情的なポーズを取って微笑んでいる。東洋系の血が強いのか、肌は黄みがかっていて、髪は黒い。この手の雑誌には珍しく、ショートヘアだ。
「ふうん……」
 アッテンボローの背に冷たい汗が伝う。ヤンは半径二メートルの身近な物事にはとても鈍いが、時折ぞっとするような鋭さを見せる。どうか今は鈍いままでいてください、と、アッテンボローは心から祈った。
「お前、東洋系が好きなのかい」
「いや、その」
 嫌いじゃないです。という言葉は、もごもごと口の中で丸まった。さらに正確を期するなら、東洋系が好きなのではなくて、好きな人が東洋系なのだというだけなのだけれど。
「思ったよりどぎついのもあるんだね」
 ヤンがアッテンボローに見せたのは、まさに今合体中の男女の姿が印刷されている別の雑誌だった。思わず、アッテンボローは赤面して顔をそらす。
「お前はこういうの、興味あるのかい」
「な、いや、ないわけ……ないじゃ……ないです……か」
 耳まで赤くするアッテンボローとは対照的に、ヤンはいたって平然としている。たかだか二年しか生まれた年が違わないのに、この反応はいったいどういうことだろう。気まずさから逃げたい気分もあり、アッテンボローは思わず尋ねていた。
「先輩は、興味ないんですか?」
「そりゃあ、ないわけじゃないよ」
 ヤンの口調は変わらない。
「じゃあ、なんでそんな冷静なんですか!?」
 ふいに雑誌から顔をあげて、ヤンのどこまでも黒い瞳が、アッテンボローを真正面からとらえた。なんでもないことのように、ヤンは口を開いた。
「そこそこ、経験があるからね」
 アッテンボローは絶句した。かのジェシカ・エドワーズ嬢に対しての態度は朴念仁そのもので、他の女生徒にも見向きもされず、恋愛だのなんだのにまったく労力を割く気配のないヤンが、そういったことの経験がある……!?しかも、「そこそこ」という。
 さすがに、まさに度肝を抜かれている最中のアッテンボローの様子を察したのか、ヤンは少し不機嫌そうに言った。
「そんなに、私が経験あることが意外だったか?」
 たぶん無意識にうなずいていたのだろう。
「男所帯だったし、船の大人たちは皆そういうことにルーズだったからなぁ」
「へ、へえ……」
 「船の」という頃は、ヤンが士官学校に入学する前のことではないか。いっそう強い衝撃を受けて、アッテンボローは目眩さえ覚えた。
「あ、あの……ちなみに、初体験の相手ってどんな人だったんです?」
「うーん、誰だっけ……」
「誰だっけ、って……」
 思い出せないほど相手いたんですか!?という言葉は、喉に詰まって出てこなかった。
「あ、思い出した。船の機関士でね」
「年は」
「私よりずっと年上だったなあ」
 確かにヤンは年上にかわいがられるタイプだろう、とアッテンボローは内心で合点した。年上の女性にいいようにされるヤン少年の妄想が脳裏をよぎり、アッテンボローは慌てた。こんな話をしていて、ヤンの目の前で臨戦態勢になるなど恥ずかしすぎる。
 ヤンは宙を見つめ、曖昧に言った。
「随分なおじさんだったような気がする……」
「は?」
 ぐらぐらと熱かった思考が、一瞬でフリーズした。
「お、おじさん?」
「そうだった……と思う」
「じゃあ、その、経験って……」
「全員男だよ」
 子供向けのコミックばりに、思いきりひっくり返るところだった。それでもなんとか本棚に縋って、二本の脚で耐える。
「いまどき、そんなに意外かな」
「もう、なにがなんだか、俺にはわからなくて……」
 ヤンはポルノ雑誌を脇において立ち上がった。
「試してみるかい?」
 ヤンが、頬と頬とがふれあうほどの距離で、アッテンボローの耳元に囁きかけてきた。アッテンボローの心臓は、可哀想なほどに飛び跳ねた。
 混乱はしているが、正直に言えば、安堵した。ヤンが、男同士の愛や行為に、まったく抵抗がないらしいことがわかったからだ。アッテンボローのささやかな想いも、ただ同性だというだけで無碍にされることも、きっとないだろう。
 さしあたっては、それだけで十分なのに。
 アッテンボローは間近にあるヤンの顔を見た。思春期まっただ中の男子のはずなのに、肌に凹凸がほとんど見られない。幼ささえ感じるその風貌の、瞳だけが妖しい光を湛えている。繊細な美しい巣を張って、獲物がかかるのを待っている蜘蛛の瞳。
 そしてアッテンボローは、哀れな獲物の蝶なのだ。
「自由惑星同盟は、その国家の成り立ちからして、ゴールデンバウム朝銀河帝国へのアンチテーゼによってなっている。同性愛を弾圧する帝国への対抗だから、我が国は同性愛を認めている。自由のあかしのひとつとして。けれどね、アッテンボロー。軍という救いようもなく保守的な組織では、そんな建前も通用しないんだよ……」
 ヤンの手が、慣れた手つきでアッテンボローの制服をたくし上げ、ようやく割れてきた腹筋をなぞる。
「見つかれば、私もお前も、処罰は免れないだろうね」
 湿った、温かい吐息が耳朶に触れると、全身に電流のようなものが走るのがわかった。緊張と期待と困惑と、味わったことのない快楽で、膝ががくがくと震える。
「もう、立てないのか?」
 必死で頷く。ヤンはアッテンボローの手を引いて、ソファに横たえた。そしてその上に馬乗りになり、アッテンボローの唇を塞いだ。同性とは思えないほど、ヤンの唇は柔らかくて、甘いような錯覚さえ覚える。ちゅ、ちゅ、とついばむ、その感触にうっとりとしていると、突然熱くぬめるものが口の中に滑り込んできて、アッテンボローの舌を舐り、歯列をなぞってきた。
「ん……む、ぅ……ふ……」
 頭のなかに、白い火が灯る。目を閉じる余裕もなく、見開かれた瞳が震える。ようやく唇を離したヤンは、伝う唾液を舐め取りながら、それを見て微笑んだ。
「アッテンボローはかわいいなぁ……」
「せん、ぱい」
 アッテンボローは魂をぬかれたような心地で、服を脱いでいくヤンの姿を眺めていた。夢にまでみた光景なのに、妙に現実感がない。これは朝方見る卑猥な夢で、起きたら下着が汚れているだけなのではないかとさえ思う。
「さすがに脱ぐとすこし冷えるね、暖めてくれないか?」
 そう言いながらアッテンボローの服も脱がせるのは、ちょっと無茶苦茶ではないかと思うけれど、素肌と素肌がふれあうと、確かに驚くほど温かかった。しかし抱き合っていたのは少しの間で、名残惜しげなアッテンボローの手をほどいて、ヤンはなまめかしく笑う。
「けっこう大きいんだね、アッテンボローの」
 すでにそれは立ち上がり、芯を持っている。愛おしそうなしぐさで撫で上げられ、先端を熱い口の中に含まれると、それだけで達しそうになるけれど、さすがにプライドというものがあるので、必死に耐えた。
「すごい……どんどん大きくなる……」
 ヤンの舌が、それだけ別の生き物のように、アッテンボローの分身の上で這いまわる。空いている手で、ヤンは自分の後ろを慰めている。殴られるような、淫らな視覚の暴力。
「……はぁっ……!ウッ……!」
「あ……」
 今までとは比べ物にならない快感に、アッテンボローは精を吐き出した。タイミングがずれたのか、白く濁った粘液は、ヤンの頬を汚した。
「あっ……!?す、すみません、先輩」
 慌てて体を起こして、頬の汚れを拭おうとするアッテンボローを、ヤンはやんわり制した。そうでなくても、快感の余韻で、アッテンボローの身体はうまく動かなかったのだが。
「最近してなかったのか?ずいぶん濃いみたいだけど」
 ヤンはためらいなく、指で頬にこびりついたそれを絡めとると、口に含んだ。
「おいしい」
「ええっ……」 
 さすがに、少し顔がひきつる。それを見て、ヤンは眉を下げた。
「失望、したか?」
「えっ?」
「私はお前が思ってくれてるみたいな人間なんかじゃない。いやらしくて、浅ましくて、そんな……」
 アッテンボローはぶんぶんと首を振った。
「そんなことないです。いやらしい先輩も、その、好き、です……」
 言ってしまってから、しまったと思った。「好き」という言葉はここぞというときのために大事に大事にとっておいてあったというのに、ついぽろりと口にしてしまった。けれど、他にどう言えばいいのだろう。
「……うれしい」
 ヤンの頬に赤みが差す。それはもう、抱きしめたいほど可愛らしいと思えた。いや、そう思ったときには、すでに力いっぱい抱きしめていた。
「先輩、先輩の中に入りたい」
「さっきはちょっと引いてたくせに……」
 くすくす、ヤンが笑う。
「いいよ、おいで、アッテンボロー」
 ヤンが脚を絡めてくる。
「え、でも、先輩、いきなりって大丈夫なんですか?」
「平気だよ。少し痛いけど、平気。さっき、自分で少し慣らしていたから」
 それに、とヤンは小さな声で付け加える。
「早く、お前がほしくて」
「…………先輩!!」
 アッテンボローはヤンを押し倒して、その顔となく首となく、何度も何度もキスをした。再び立ち上がったものをヤンの股間に擦りつけるが、なかなか狙いが定まらない。
「あっ……はぁ……」
 それだけで感じているのか、ヤンの瞳がとろりと蕩ける。けれどもそれは求めている激しいものではなくて、ヤンはアッテンボローの手を握り、秘めた場所へ導いた。
「焦らないで、ここに挿れて」
 ぶわ、と全身を高熱が覆う。矢も盾もたまらず、アッテンボローはそこに自身をねじりこんだ。
「あ、あせるなって……あ、ああ!」
 そこは狭くて、熱くて、アッテンボローを絞り上げるようにうねっている。本能に突き動かされるように、アッテンボローは腰を振った。ヤンの髪が汗を含んで揺れ、その下の黒い瞳はそのまま溶け出しそうなほど潤んでいる。
「はぁぁっ……!!いい、イイよ、アッテンボロー……!」
 じゅぷ、じゅぶ、と淫らな音が響く。そのたびに揺さぶられるヤンのものも、透明なしずくをとろとろとこぼしている。
「キスして、胸にも」
 言われるがまま、胸の、ふっくりと膨らんだ先端を吸う。するとわかりやすいほど、ヤンの中がきゅうと締まった。それがおもしろくて、気持よくて、アッテンボローは執拗にそこを弄りまわした。甘噛みして、舌で転がす。それを繰り返していると、次第にヤンの嬌声が切羽詰まったものに変わってきた。
「あ、や、そんな、はぁっ!だめ、あっ、そこ、よわくて、っ、あっ、あんまり、いじら、あ、あああ!」
 ヤンの身体が、激しく痙攣する。これがイクってことなのか、と一瞬そんなことが頭をかすめたが、食いちぎられそうなほど締め付けられて、元からなかったアッテンボローの余裕など、木っ端微塵に吹き飛んでしまった。
「痛!いたた!先輩、ちょっと痛い!」
「ひ、あぁ……」
 ヤンはまだ身体を震わせている。その震えが内側へも伝わり、アッテンボローも達する。
「先輩、先輩、せんぱい……!!」
 一度高まり、極限まで煮詰められた熱は、そうそう治まるものではない。それから何度抱き合って、何度吐き出しても、アッテンボローのものはなかなか衰えず、ヤンの貪欲さも底を知らない。
 やがて窓際に積まれた資料の隙間から、夕陽が差し込むようになる。アッテンボローは、自分に跨って腰を振るヤンを見上げた。頬も胸も腕も、陽の赤さが加わって真っ赤に染まり、血のようにさえ見える。獲物を食らう獣の雌を、アッテンボローは想い浮かべた。
「もう、だめぇ……!」
 ヤンはかすれた声で叫んで、ぐったりと力をなくしてアッテンボローの上にのしかかった。そして、何度目かももうわからないキスをする。アッテンボローは何も言わず、ヤンを抱え上げ、下から思い切り突き上げた。
「――!!――――!」
 ヤンの身体が跳ね、アッテンボローの吐く精を残らず飲み込む。もはや、声さえない。ここではもう、言葉さえ意味を持たない。

 アッテンボロー独自の情報網で、他の生徒がシャワールームを使わない時間帯は把握していた。本来はビニールに入れた本の受け渡しに使われるその時間で、二人はシャワーを浴びた。
「…………腰が痛い」
 隣で、ヤンが座り込む。
「俺が支えましょうか?」
 アッテンボローが楽しそうに言うと、ヤンは真顔で言った。
「それで、お前、我慢できるのか?」
「……できません」
「そうだろうなあ」
 そんなに体力バカだとは知らなかったよ、とヤンがなにやら勝手なことを言っている。その体力バカに跨って、あんあん言っていたのはどこの誰だか……とアッテンボローは内心で文句を垂れたが、その光景を思い出すと、また欲望が漲ってきそうだったので、慌ててやめた。さすがにこれ以上は、お互いに倒れてしまうかもしれない。
 ざあざあと、シャワーの音だけが聞こえる。
「俺、初めてが先輩で、よかったです」
 聞こえなくてもいい、口にさえ出せればと思って、アッテンボローは言った。ヤンは座り込んだまま、答えない。
「ね、明日もできますか?」
「明日はダメだ。というか、明日から私は補習続きだから、しばらくダメだ」
「え……」
 アッテンボローは凍りつく。一度セックスを覚えてしまった十代男子に、しばらく我慢しろなどと無体なことを言うのだろうかこの人は。
「……ちなみに、補修って何教科あるんです?」
 恐る恐る聞くと、ヤンは両手を使って数えだした。
「えーっと、座学は機関工学と物理学とあとなんだったかな、実技は射撃と戦闘機だろ、いや、実技は他に格闘技、サバイバル訓練、あと……」
「多くないですか!?」
「終わったらいっぱいさせてやるから、我慢しろよ」
「え……ええええーーー!!!」
 アッテンボローをシャワールームに置いて、今日から予習していたほうがいいかなあとぼやきながら、ヤンは腰をさすりつつ出て行ってしまった。
 勝手な人だ、とアッテンボローは今ほど思ったことはない。しかたがないことではあるのだが、そう思わずにはいられなかった。けれど、その勝手っぷりが、なんだか無性に愛おしかった。
 補修が明けたら、限界までたっぷり愛そう、とアッテンボローは心に決めて、ヤンを追いかけて更衣室に入った。
「ところでアッテンボロー。あの雑誌のモデル見て私の事思い出してたのか?」
 にやにやと、ヤンは人の悪い笑みを浮かべている。
 やはり、どこまでも勝手な人だった。



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